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「FINAL FANTASY VII REMAKE」が100点満点中9999点だった話【前編/ネタバレなし】

おはようございます。

第2回なんですがFF7です。

 

僕がこういうブログみたいな形式で長文を書く時って大体、以下に書くようなゲームに出会った時でして―――、

 

A.マイナーだけどめっちゃ意欲的なことをしようとしているゲーム!

  これが刺さる誰か知って欲しい!

 

もしくは―――、

 

B.次代10年を言祝(ことほ)ぐ、"新しい神話"が降誕しました

  みな、このゲームの神威を広く大地と民草に知らしめて、大いに礼賛するように

 

のどちらかなんですね。そして今回はBです。

 

みなさん、もう「FF7R」やりました? まだ終わってない?

結構ボリューミーでしたもんね。

 

分作、しかも「ミッドガル脱出」までと聞いていたので、10時間くらいで終わっちゃって、あとはクリア後コンテンツを遊ぶタイプのゲームかな? と思っていましたが、寄り道なども楽しんでいたら、ガッツリ30時間も遊ばせてもらえました。

クリア後もまだまだ遊べそうでとても楽しみです。

 

じゃあ総評から言います。

100点満点中、9999点です。

 

FF7Rが何故ヤバいのか、理由は探せばいくらでも出てくるんですけども。

まず、全編に共通して「非常に丁寧な"再構成"が徹底されている」ことが特徴です。

それは「大人気の原作があるんだから、それを裏切らないよう、丁寧にトレースし、作り込んでいけば良作になるだろう」ということではなく。

 

「今」「この時」「このゲーム史の中で」

FINAL FANTASY VIIの"REMAKE"をするなら、その体験の"究極"とは何だろう」

 

このテーマに対する丁寧さ、真摯さが、このゲームに通っている一本の背骨です。

では、以下に「手抜かり無さすぎワロタンゴ」なポイント(以降テヌワロポと呼称)を紹介していきます。ハイパー長いです。

 

※原作をやらずに「REMAKE」をやるのはまったくオススメできません。これから先は、原作をプレイしたテイで話を進めていきます。プレイ動画を見る等でも良いので、原作を履修してから読もう!

 

■第一の礼賛「神は己の似姿として人を―――、」

※注意 何故かFF13、FF14蒼天のネタバレがあります

キャラクターの話を少しします。

まず最初に言っておくべきことなんですが、僕はFFシリーズのストーリーに大きな期待をしていません。

原作FF7、それとFF10以降のタイトルについて「壮大ではあるが"固有の概念"が多く、その説明に割く時間の多さが、ヒューマンドラマ部分を薄めてしまっている」とか「世界の危機と、その救済を描くことに終始しているが、それが仲間キャラクターそれぞれのストーリーを束ねて密に収束していくような流れではないため、感情移入しづらいし、このキャラはこの話に要るんか…?がよく起きる」というような印象を持っています。もちろん、ゲーム都合で仕方のない部分は多くありますが、それを上手く消化した上で、素晴らしく"腑に落ちる"シナリオを描き出している他のゲームを多く見てきたことも事実です。

これはちょっとした好みの話になりますが、僕は、舞台を回す装置的な役割を持つキャラクターが多すぎるのも、それが使い捨てられるのも苦手です。FF13のシドとか、FF14のオルシュファンとか。「劇作上の都合」がキャラクターを早熟なうちに退場させてしまうのを、勿体ないと思います。登場するためにかけた時間(プレイヤーに体験させた時間)と、退場する際のカタルシスの大きさが見合っていないと、物語全体が不必要に膨らんで、脂ぎってしまう、ということですね。(なぜシドやオルシュファンからカタルシスを得られないのか、を語るには時間がかかりすぎる…。キャラクターの良き退場には「必然の理由」と「劇的さ」の両方が必要であり、彼らはその片方を満たせなかったのだ…。)

ですが今回、FF7Rにおいて、そういった「舞台装置」的なキャラクターはほとんど登場しません。もちろん、原作ではそういうポジションだったキャラクターもいましたが、そこへの手直しが非常に"丁寧"です。キャラクターの生き死にを「かつてないほど劇的なものにしてくれるわ!」という熱意が感じられたし、それが感じられた時点で、こちらに「その劇的な物語を改めて楽しんでやるぞ」という"真面目な気概"が生まれるのでオールオッケーなんです。これはリメイク作品ならではの仕掛けですね。

具体的には、アバランチの面々です。

よく知らない人たちが死の重みだけをおっ被せてくる原作(言い過ぎです、原作でも台詞回しに豊かな情緒がありました)とは異なり、彼らが何故生き、何故戦い、何故死んでいくのかが深く明瞭に(そしてやり過ぎない程度に)描き直されているので、原作での彼らの運命を知りつつも「彼らの退場を、より多感に受け入れよう」とか「もしも救いがあるならば…」という気持ちが出来上がるんですね。これがまず第一の、素晴らしく丁寧な再構成(リメイク)です。そしてこの「物語の映画的な再構成」の中に、前提部分で書いた「体験の究極」を演出するための見事な仕掛けが用意されています。(それについては後半で書きます)

というわけでFF7Rは、平成FFが慢性的に抱えていた、ゲーム都合を重視し過ぎたシナリオ、強く言ってしまえば「難解で陳腐な群像劇」…から遠ざかるための工夫が随所に凝らされていました。もちろん、このポジティブな傾向は「FINAL FANTASY XV」や「FINAL FANTASY XIV 漆黒のヴィランズ」の時点で既に頭角を見せていましたね。そっからこのリメイクですから、きっと僕は今後のFFには「話の面白さ」をグイグイと期待してしまうでしょう。かつて僕が持っていた「彼らの物語の続きを知りたい…という気持ちが原動力になって進むRPG体験」が、今回の丁寧な再構成によって復活したわけです。ありがとう再結合(リユニオン)…。

 

■第二の礼賛「嵐の過ぎた後、もたらされた静寂こそが福音であり―――」

サウンドの話をします。

つまり「闘う者達」(原作通常バトルBGM)の話です。今回のリメイク、とにかく「闘う者達」のアレンジやメインフレーズの転用が多くて、バトルはもちろん、カットシーン、ダンジョン等でも多用されます。つまり「FF7といったらこの曲よ!」というのを、作り手が意識しているということなんですね。もちろん「メインテーマの方が印象深い」という人もいるでしょうし「場面ごとに原作通りの音源を意識して欲しかった」という意見があるのも分かります―――、しかし「これが恰好良いんだよ! なぁ!?」というのを、作り手の側から熱く提示されることは、もの凄く気持ちが良い体験でした!

FF7のストーリー、特にミッドガル脱出までの話は「ゲーム的なチュートリアル」と「キャラクター登場」そして「権力打倒」の流れですから、とにかく印象的な「バトル」が多い。そういった部分を汲んで「闘う者達」をサウンドの軸に据えているのは、とても情緒豊かですし、しっかりと「わかる」ワケです。それでいて他の楽曲たちも要所では原曲の雰囲気たっぷりに登場し、ある個所では意欲的アレンジによって振るわれたりと、原作FF7の最大の魅力のひとつであった「サウンド」という素材を、過不足なく適切に調理できていると感じました。そして、これまで何度か匂わせている「大いなる仕掛け」についても、この「闘う者達」をはじめ、多くの楽曲たち、それ自体が内包しています。続きはネタバレになるので後半で。

そして「更に闘う者達」の話をしましょう。これは「闘う者達」もそうなのですが、今回、一曲が非常に長いです。「更に闘う者達」なんか10分近くあります。これはバトル中にムービーを挟んで、慌ただしく場面が転換する、シネマティックな演出のためですね。楽曲を小分けにし、フェーズごとにBGMも極力シームレスに移行して臨場感を高める…的なアレです。これが、とても素晴らしい。

FF7Rの「更に闘う者達」は、長尺の曲を綺麗に取り回して、バッチリと「起承転結」のあるバトル演出に仕上げる、匠の技になってます。こういうの超アガるぅ~~↑↑。

 

ところで、みなさん「ビッグブリッヂの死闘」って好きですか?(FF7Rで流れるワケではありませんが) 多分なんですけど、ほとんどの人が「ビッグブリッヂの死闘」を「好きだった時期」があったと思うんですね。

さて、僕はと言いますと「今でも大好き!!」と言えるあなたに比べたら、少しだけ「好き」が薄れてしまっているかも知れません。何故かと言うと「どんなコラボレーションでも特にテンションの変わらないアレンジを聞かされ続けた」からです。原曲の良さを言語化するのに時間がかかるようになってしまった。ノータイムで「ハァ!? 超カッコいいやろが!!」と熱く言えなくなってしまった。聞き飽きたからです。

それと同じことが、もしかしたらFF7Rをプレイしていない人たちの中で「闘う者達」や「更に闘う者達」に対して起きているかも知れません。

だとしたら君はFF7Rをやるべきだ。こんなにも「新しくて恰好良い楽曲」はない。FF7Rの楽曲は、植松信夫先生の偉大な作家性が持つ"余裕"であり、それをFF7Rのサウンドコンポーザー&プログラマーが、同じくらいに偉大な想像力と、一切の妥協ない努力によって舗装した「まったく新しい、あの名曲」だ。(曲が良すぎてベストアルバムのコメンテーターみたいになりました)

そんなワケで(どんなワケじゃ~~い!!)、僕の「闘う者達」に対する熱量は、今回の体験によって、まったく新鮮でエネルギッシュなものに新生しました。これを呼び起こしてもらっただけでも、100点満点中56億7千万点プラスされて弥勒菩薩が降りかねない恩寵!! 耳が法悦!!!!

 

サントラのリスト見れば分かるんですけども、とにかく曲数がハンパないです。「闘う者達」のアレンジだけで何パターンよって話ですから。あの曲も、この曲も数パターンあったり、えらい長尺だったりしますからね。そういう部分からも「本気度」がしっかり伝わってきて、もはや頭を下げるしかないです。僕たちはこの後、何年だってFF7Rのサントラで白米を喰えるわけですよ。ありがたいなぁ…。

 

今後は「俺、リメイクの「更に闘う者達」好きなんだよね!」じゃなくて

「俺はエアバスター…」

「俺はヘルハウス…」

「イイね…」

「ガードスコーピオン…」

的なやり取りが交わされていくようになります。

 

え? ちょっと待って、ボス戦ごとに全部アレンジが違って全部10分くらいあるって冷静に考えるとヤバくないですか???

(時に冷静さを欠くことが好ましい)

(サウンドに関しては後半でも言いたいことが大量にあります)

 

■第三の礼賛「神は不在のまま、メリーゴーランドで回る―――、回る―――、」

 

さて「ストーリーの再構成」と「サウンドの再構成」についてお話しました。

ここでちょっとゲーム性について言及するんですが、まだエンドコンテンツを全て遊び尽くしたわけではないので、暫定評に留まります。

まず、アクションRPGとしての出来は、非常に良いものです。従来FFのコマンド式バトルと、最新FFのアクション要素を上手く調和させたものになっています。「理論」と「反応」の、ちょうど真ん中を駆け抜けていくようなプレイ体験ですね。

そして、マテリア等の魅力的な成長&装備システムはそのまま「武器とアビリティを一組に」したFF9的な蒐集&育成の要素も魅力的です。ボスから貴重品を「ぬすむ」、「てきのわざ」を覚えるために「みやぶる」等の、とてもFF的なRPGエッセンスも、そこかしこに用意されています。

 

で、これと一緒に話したいことがひとつあって、それは「FF7ってどんなゲームだったの?」という話です。

 

原作FF7というゲームを一言で表現するなら「ゴールドソーサー」…。いや、ちょっと待って、帰らないで! 僕は「遊園地的である」ということを言おうとしています。

原作FF7って、なんか、言っちゃあれだけど面倒くさいくらいミニゲームが多かったんですよ。「龍が如く」かってくらい。特に有名なのが「ゴールドソーサー」で。当時のゲーム性の水準からいけば、それぞれのミニゲームが単体で作品化しててもおかしくないくらいのクオリティで、それが「ゴールドソーサー」にたくさん用意されていて、自由に遊ぶことができた、と。

で、ゴールドソーサーとは別に脇道のミニゲームも大量にありました。なんかよく分からないけどスクワット(ボタンを一定間隔で押すゲーム)させられたり、後はユフィとか、隠しキャラ探しなんかも今に思えばミニゲームの一環でしたね。

そういった「脇道の遊び」によって武器やマテリアが手に入り「良質なコマンドRPG」と融合したものが、原作FF7の「面白さの本質」である、と僕は考えています。(FFではお馴染みの「世界巡り」の面白さですね)

そういった意味で、FF7Rはまさにこのコンセプトを良く継承していて、とにかくあちこちに「報酬に繋がる遊び心」が用意されています。そして、ある種の面倒くささや、ネガティブな体験性から遠ざける工夫もバッチリあるんです。

例えば「あえて道を逸れるとアイテムが落ちている」「サブクエストをこなせばご褒美が手に入る」というような仕様と「システム部分の基本的な面白さ」が紐づくことによって「探求の意欲」が生まれるワケじゃないですか。そしてそれが上手くいった時、成功の体験=カタルシスになる。でもそれを「やらなければならない面倒なこと」と捉える層だって間違いなくいる。じゃあFF7Rがそれをどうしてるかって言うと「取り返しの尽かない要素」をほぼ全て撤廃して「頑張った人だけ、ちょっと早めに恩恵に与れる要素」にしてるんですね。これがすごく良い。

FF7Rの「武器」は固有のアビリティと紐づいてたり、武器自体にも育成要素があったり、カットシーンでもキャラクターのグラフィックに反映されたりと、かなり情報量が多い要素です。でもって「同じものを複数手に入れることはできない」とか「各キャラクターに合計8つの武器が用意されている」とかが先に明示されてるんですよね。つまり、武器をひとつ手に入れるごとに、ゲームは大きく進捗するわけです。だから武器を入手するとワクワクするんですよ。

で、ボスを調べてみたら「エアリスの武器が盗めるよ」なんて書いてあるわけです。古典的なRPG好きからするとアガります。そして盗めた時のカタルシスも凄まじい。じゃあ、そのことに気づけなかったら? 盗めなかったら? ここです。FF7Rの場合、そういった入手機会が限られるアイテムは、次の大きな町まで進めば、「普通に店で売られてる」んです。つまり、早めに発見して獲得するメリットは「その武器を早くから活用&育成することができる」という点のみなんですね。そして、このメリットを喜ぶのはコアプレイヤーだし、軽視するのはライトプレイヤーだろう、というところがこの仕様の良いところです。

徹底的に頑張った人には、その人向けの報酬がある。

そうでなくとも「取り逃した」という決定的にネガティブな体験を与えないような救済がある。

見事な「落としどころ」だと思います。こういう部分でもプレイヤーの体験をつぶさに想定していて、手抜かりがない。

というわけで、FF7Rが原作から継承した、豊富な「遊び心」と、その丁寧な「再構成」について話しました。ちなみにFF7Rのミニゲームの数々で、ゲーム自体が「面白い!」と断言できるようなものは無いのですが、導入はスムーズで、演出に優れていて、難易度もストレスになるようなものではなく、バランスが良いです。

リメイク版のゴールドソーサーも楽しみですね。

 

===

 

さて、これで前編は終わりです。

 

最初に、このゲームを指して「新しい神話」だなんて強い言葉を使いましたけども、それは決して大袈裟に盛ったワケではなくて。これだけの豊かな体験、先鋭的なゲーム性と仕様を多く盛り込んで「REMAKE」を謳うんですよ。つまり、今後どんなシリーズの、どんなリメイク作品も、どうしたってFF7Rと比べられてしまうよなぁ!?

 

そういう意味で言うなら、これまでの数多くの「リメイク作品」をまるごと過去にしてしまうだけの破壊力が、FF7Rにはあったワケです。少なくとも、ネタバレやゲーム深部の話を抜きにしたような部分でさえ…。

 

そう…。

これから語る後半こそ…。

「終わりの始まり」だ…。

クラウド…。

 

(「終焉の幕開け」的なことを「終わりの始まり」って言う人はよくいるけど「騒動の収束」を「終わりの終わり」って言う人はあまりいない:TIPS)

 

ひとまず総評は100点満点中9999点です。以下が暫定的な内訳になります。

◇ストーリーやキャラクターについて「平成FFに散見されたチープさ」から脱却しようという試みとその成功  +5,000点

◇「FF7のリメイク」という大きな期待に応えるだけのバリュー  +3,000点

◇フルプライスに納得できるだけのボリューム +2,000点

◇それはそうとしてUXの部分で褒められない箇所もあるが、全ては、取るに足らない傷だと感じる吉宗であった -1点

 

じゃあ、FF7Rクリアしたら、ぜひ後編も読んでくださいね。