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「FINAL FANTASY VII REMAKE」が100点満点中9999点だった話【後編/ネタバレあり】

 

おはようございます。

こちら「FINAL FANTASY VII REMAKE」のレビュー後編になります。

ネタバレなしで良いところを語る、前編はこちらからどうぞ。

 

この記事は頭のてっぺんから爪先までネタバレまみれです。

以下のチェックリスト全てにペケを入れられる人のみお通りください。

 

□原作FF7をクリア済み(またはプレイ動画等を見た)

□FF7Rをクリア済み(全章をクリアしてスタッフロールを見た)

 

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では語ります。

まず、誰もが震撼したであろう、爆破ミッション後のあのシーンから、今作を評価するために回避できない、ある「仕掛け」についておさらいして行きましょう。

めちゃくちゃ長いです。最期にちゃんとレビューもします。お時間のある時にどうぞ。

 

 

 

 

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■開始30分で明示される「REMAKE」の意味

 

エアリスとクラウドが初めて出会うシーンです。この時点で既に、エアリスが「再会」のテーマに口にし、クラウドがそのヴィジョンを得ます。その後にも度々クラウドが見ることになる映像については、適当な言葉が見つからないので、ひとまず「前世」と言っておきます。「原作FF7」で、エアリスと死別するシーンを、断片的に見る。

この時点では未だ、それが「予感」なのか、それとも「既視感」なのか、プレイヤーに判別させる気はありません。ただ、誰しもがこう思った筈です「もしかして今回はエアリスを助けられるのか?」という風に。

 

■「フィーラー」の登場、その姿は…

 

七番街スラムに到着してすぐ「フィーラー」が登場します。物語終盤で「運命の番人」であることが判明する存在ですね。これは原作FF7にもあった特徴なのですが、FF7は、その前ナンバリングタイトルであるFF6と共通するテーマが多いです。「ファンタジースチームパンクが融合したような世界観」であったり「(準)人間がラスボス」であったり。「コイン+銃器」というルーファウス神羅の特徴的な戦闘スタイルは、エドガー的であると言えば確かにそんな感じです。さて、であればフィーラーのビジュアルを見て、往年ファンがまずピンとくるのは「ゆうれい」でしょう。FF6の魔列車に登場する、死んだ人の霊です。特にドット絵の方がフィーラーにそっくり。

 

「運命の番人」という要素を知らないプレイヤーがこの時点で分かることは以下の2つ。

1.原作FF7に、こんなのは居なかった…。

2.「ゆうれい」だとしたら、誰の幽霊なのか。(七番街スラムで大量の死者が出るのはまだ先の話ですからね)

勘の良いプレイヤーであればこの時点で、先のエアリスの件と合わせて「もしかしてこれ、2周目的な?」と考えるかも知れません。 「プレート崩落で大量に死んだ七番街スラムの人たちの幽霊が、2周目ではそれを起こさせないようにしている?」なんて。

元々FF7は、死んだ人間の魂が星を経て流転するという設定ですし、なんかあり気な感じがしますよね。でもこの時点では、まーだまだ答えは出てきません。(とはいえ、既に「俺の知ってるFF7じゃない!」という驚きが進行の原動力になるくらいには、序盤から攻めてきています。)

 

■プレイヤーに世界観を確信させる要素「二人目のクラウド

エアバスター」戦の後、教会へ落下したクラウドに対して現れるヴィジョンは、何とクラウドです。声色は随分と優しく、落下したクラウドのことを慮るようなことを言います。「あの時は、ヒザを擦りむいただけで済んだけど…」なんて台詞を受けて、この時点でプレイヤーは「これが2周目の世界」であることを確信します。ちなみに、この時すごい勢いで割り込んでくる幻覚セフィロスが、前後の違和感を有耶無耶にしていきます。上手。

 

■セフィロ…え、お前…誰!?

ウォール・マーケットに進む途中で、クラウドがまた幻覚を見ます。この人、しょっちゅうセフィロスの幻覚を見るんですが、これは原作でもよくあったことですね。「クラウドセフィロスのコピー候補」なので、自分の内側にセフィロスを宿していて、それが発露する時、幻覚として見えるワケです―――が!

FF7Rでは、その「原作設定」を利用して、かなりとんでもない心理誘導を仕掛けてきています。それはつまり「序盤のクラウドが見るセフィロスは全部幻覚」という「前提」そのもの。ほとんどのプレイヤーは「この人また幻覚見てる…」と思ったんじゃないでしょうか。「このシーン」を除いては。

「また守れなかったな」

「喪失がお前を強くする」

「それでいいのか?」

なんか割とはっきりめに現れたセフィロスが、上のようなことを言います。

セフィロスのキャラクターを知っているプレイヤーは「え!?」となるシーンです。「それでいいのか?」っていいに決まってるんですよね、セフィロス的には。自分に手向かって一太刀浴びせたクラウドに対して、異常でサディスティックな偏愛を注いでいるキャラクターなワケですから。

でも、この「それでいいのか?」は「それじゃダメだろ?」以外に受け取り方がないんですよ。いっつも「お前への贈り物を考えていた。絶望を贈ろうか。」みたいなこと言ってるドSソルジャーから出てくるような台詞じゃないんですね。

そしてこの「失って強くなる」は、原作でのエアリスとの死別のことを指しているように思います。(母親やザックス…って話もありますが、いずれにせよこの時点でクラウドが自覚できる話ではありません。)

つまり、ウォール・マーケット手前でコンタクトしてくるセフィロスは「クラウドの中のセフィロス」としても「実在のセフィロス」としても、ちょっとおかしい発言をしているワケです。そこで「二人目のクラウド」のことを思い出せば、当然「二人目のセフィロス」だって存在する、と帰結するワケですね。

「いやいや、俺の知ってるFFはこんな鋭いフックを仕掛けてくるゲームじゃないよ!?」と、めっちゃ興奮したことも記憶に新しい…。

ここで「2周目=REMAKE」という意味がさらに現実味を帯びると同時に、プレイヤーの願望である「エアリスの生存」の「さらに先」を暗示させてくるワケです。

 

アバランチのみんな、助かってくれ」難易度:C

「エアリス、生き延びてくれ」難易度:B

セフィロス、英雄だった頃に戻ってくれ」難易度:A

 

みたいな。

今さら過ぎて気づくのが遅れてしまったんですが、セフィロスって、別に最初からあんなサイコ野郎ではなかったんですよね。前編で「ビッグブリッヂの死闘」の話をしたじゃないですか。意外性のないアレンジばかりでイメージが固着化して…というやつ。あれが「各所のコラボで引っ張りダコ」のセフィロスにも起きていて、僕らの描く「セフィロス像」は、達観していて、薄笑い以外の表情を知らなくて、ブレイブ攻撃が長くて、マザコンで、クラウドが好き、みたいな要素で構成されてるじゃないですか。でもセフィロスには「それ以前」にまつわる描写もちゃんとあって、それはつまり「英雄セフィロス」としての人格で…。

「喪失がお前を強くする(のは事実だろう、だが)…それでいいのか?」

この台詞、めっちゃ後輩を気遣う英雄然としていませんか?

え? もしかして、そんな夢のようなIFまで、僕たちは期待してもいいんですか?

ここまでが最終章までの間に展開される「REMAKE」にまつわる主な伏線等です。

あとは神羅ビル内のVR映像の中で、クラウドセフィロスが背中合わせに立って、お互いを見ていない(二人の相関性を考えれば異常な構図、まるで共闘しているかのような…)シーン等もあり、これが「ただのリメイクではない」ことを意識していれば、勝手に想像が躍進してワクワクするような造りもありましたね。どうした…上手いぞFF…。

 

■明かされるフィーラーの役割、そして最終章へ

 

神羅ビルで、ついにフィーラーが「運命の番人」であることが明かされます。レッドXIIIがエアリスから受け取ったヴィジョンの中に含まれていた情報ですね。エアリスは当然、レッドXIIIよりも色濃くこのことを知っていたようです。だから14章の決意イベントでは、クラウドに思わせぶりなこと言ってたワケです。「好きにならないでね」は、当然「この後、死んでしまうから」という事実を知っていたからこその言葉でしょう。

さて、突然ですがバレットタイムです。みなさん、バレットについてどう思いますか? 僕はリメイクのバレット大好きなんですが、原作とイメージがちょっと変わった、という人も多いかも知れません。声優さんの快演が影響してる部分も大きいでしょう。ただ、彼の性格や言動が、原作と微妙な「ズレ」を見せていたことにはちゃんと理由が用意されています。

プレジデント神羅セフィロスに殺されるシーンで、バレットは原作FF7には無かった行動を取ります。そう、セフィロスに喧嘩売っちゃうんですね。それで返り討ちにされる、と。これをフィーラーが「蘇生」するシーンは、バレットのキャラクター性の「ズレ」が、はっきりと意図されたものであることを証明しています。やっぱりリメイクのバレットはちょっと、いやかなり激情家なんですよ。原作のバレットに比べて。だから「運命」とは異なる行動を取ってしまい、フィーラーがそれを修正した。バレットは最終決戦まで生き残っていることが「さだめ」だからですね。この演出で「運命=原作FF7で起きたこと」だとしっかり理解させているのが、非常に秀逸なポイントです。これ、伏線とか考察とかを抜きにして「なんでそんなことしてくれたの?」を考えるだけで「運命の番人」という存在の原則が分かるようになってるんですよ、凄くないですか? 僕の知ってるFFは(以下略)

 

■まだ見ぬ未来のために、全ての因果を破却する

 

ちなみに僕は途中まで「仮にアバランチやエアリスが助かるとして、その道程に納得できなければ、こっぴどく言ってやるからな…!!!」と激情をむき出しにしてこのゲームに臨んでいたと言っても過言…なのですが、正直、あの支柱での流れを見るに、フィーラーが「人を瞬時に移動させる能力」を有していることが事前に描写されていたとしても、ビッグスやジェシーが助かることには懐疑的でした。特にリメイクでは、はっきりと事切れる瞬間のようなものが描かれてましたからね。

また「死のさだめ」から一時的に逃れたウェッジに対しても、後にフィーラーが殺意たっぷりに襲い掛かってるところまで見ると、いよいよビッグスとジェシーは「死んだ」ということをはっきりさせている、とすら感じました。

…え、じゃあエアリスだけ助かる…かも、的な…? その、古代種的なアレで…?

というような、ちょっと嫌な予感を抱いたプレイヤーも多かった筈。しかし、リメイク版は僕らの知るFFではなかった…! ここから、とんでもない方法を使って全員を救う方法を提示してきます。

 

それは「因果の破却」つまり、原作FF7を無かったことにする。

「運命の番人」がいるなら、その「運命」そのものを破壊する、ということです。奇しくも、それを先導するのはセフィロスでした。

でもそれって…。

フィーラー戦で、レッドXIIIが抱いたヴィジョンが印象的ですよね。あれは「ADVENT CHILDREN」のラストシーンかも知れません。遠い未来、現時点で確定しているFF7の「後日譚」でさえ「未確定の未来」に。

それは「エアリスの死が回避できるかも知れない」というポジティブな変化だけではなく、代わりに起きるかも知れない悲劇、例えば星そのものを守ることに失敗したり、別の誰かが犠牲になってしまう可能性だって含んでいるワケです。

「前日譚(クライシスコア)」も「後日譚(アドベントチルドレン)」も、全ては原作FF7という大きな運命を軸に回った物語です。そんな原作FF7を否定してしまうことは、それに連なる全ての作品を「正史ではない」と断言する、あまりにも思い切った行いです。この時点でプレイヤーは気づきます。

あっ…!

最終章のバイク戦闘が終わったあたりから、主人公がクラウドから「ぼく」になっている…!

 

「ぼく」です。原作FF7をプレイした「あなた」。

どうにかしてエアリスを助ける方法はないか、と「すいちゅうこきゅう」のマテリアを探し求めた「きみ」。ジェシーと観覧車に乗ることを夢想した「おれ」。バグを使ってまでセフィロスを連れ歩きたかった「わたし」。

 

それを望むのなら、再構成(リメイク)しましょう。

ただし「自由の代償」として、これまでの「全て」を否定してください。

 

こういう論法で来るわけですよ。もはやメタファーがどうとか言って評論する次元を超えています。キャラクターコンテンツの偉大な先駆者であったFFシリーズの、その代表とも言えるFF7が、その内側に持つ膨大な歴史をすべて「薪」にして、未知へと進むためのエネルギーとして燃やすと言うんだから!

 

絶句してコントローラーを握りました。そして決断し、ラストバトルへ。正直、この決断を迷わせるだけの「説得力」が、もはやこの作品には存在していたんです。エアリスじゃなかったらティファが死ぬぞ、とか。エアリス以外全部死ぬぞ、とか。言い出しかねない「覚悟」を、むしろゲームの側から投げかけられて、受け取ることになろうとは思わなかった。この時点で、もはやFF7Rは既存のどのRPGとも比べられない巨作になってしまいました。だって、こんなことやったシナリオ、かつてないですよ。「これまでの体験」を燃やしてエンディングへと飛翔する、という点では「ニーア」シリーズの全データ消去等がありますけれども、あれはゲーム内で完結している話ですから。

FF7Rは、この23年を「燃やす」と言ってるんです。我々が体験してきた、FF7にまつわる記憶の全てを「外典(正しくないもの)に貶める」と言っているんです。そうじゃなきゃ運命の「REMAKE」なんてさせねえぞ、と。

こんなの、もはや「新約聖書」ですよ。

正直、ここまで説得力と、破壊力に満ちた結論を、まさかファイナルファンタジーシリーズが提示してくるとは思いませんでした。想像を裏切ること、予想の上を行くことが良きシナリオの条件であるのなら、間違いなくFF7Rのシナリオは最高です。ファンであればあるほどに、最後の決断が、加速度的に凄味を増していきます。

僕が口すっぱく「原作をやってからプレイするように」と言っているのは、この局面でいよいよ、まだストーリーに登場していないザックスなんかが出てきちゃってるからです。クライシスコアのラストシーンが突然始まっちゃうワケです。正直このラストまではFF7を知らないプレイヤーが「REMAKE」から入るのも「まあアリっちゃアリかな~」くらいに思っていましたが、吹っ飛ばされてしまいました。原作やってないと何も分からないし、何ならクライシスコアもちゃんとやってないと、よく分からないシーンじゃないですか、これ。

もう完全にクラウドから「FF7が大好きだったあなた」に主人公が移っています。ただしこの部分、あえてこういう評価もしておきます!! ここでポカンとしてしまう人はきっといるだろうし、それはちょっと可哀想!! はい、終わり!!

ここは素直に「僕らのためのゲーム」であることを喜びましょう。

 

そして、ラストバトルが始まり―――。

 

セフィロスは最期に「リメイク版のラスボス」の存在を示唆し「クラウドとの共闘」という神羅ビルVRでの伏線も回収しに来ましたね。今回はクラウドが感情的に断ってしまうワケですが、続編で十分に「エアリス生存」と「セフィロス共闘」果ては「ザックス生存」までも「アリ」にしてしまうような、ウルトラCな「答え合わせ」で物語は一旦の収束へ。(ただし、これが「ご都合主義」であるとは口が裂けても言えません。)

 

そして、未確定の未来へと続いていきます。

(ただし、こうなると「リメイク版クラウド」は正史では生まれない存在になりますね。そういう意味ではまさに特異点。主人公に相応しい存在ではありますが。この部分の解釈は、あえて分かれるように作られている思います。ザックスが生存したからこのクラウドは生まれない…のか、それとも、このクラウドが運命を選んでいくからこそ、ザックスは決して生還を許されない存在になった(から、あのすれ違う演出が挟まった)のか。まだまだ考えて楽しめる部分です。)

 

さて、急で申し訳ないんですが、ここからサウンドの話をさせてください。

 

■新約・片翼の天使

 

プレイする前の僕はこんなことを思っていました。

「ミッドガル脱出までの間って、セフィロスと戦ったりしないよな。ファンサービスみたいな感じで戦うことになって「片翼の天使」が流れちゃったらちょっと冷めるな~」

今にして思えば、何を腑抜けたことを言ってるんだお前は! と自分の顔をビンタしてやりたくなりますが、序盤の僕は本当にそんな風に思っていたんですね。(といっても本当に最序盤だけで、エアリスと出会うシーンの違和感を覚えたあたりで背筋を正しました)

 

さて、ラストバトルです。セフィロスです。FF7のラストバトルなのでセフィロスと戦います。記号的でしょうか? そうは思いませんでした。何故なら、ラストバトルが始まるのは「壁」を越えた先、つまり、全ての未来が未確定になってからの出来事。「FF7のラスボスってセフィロスなんですか? それってどこ情報です?」そんな状態なワケです。いくらでもデマが飛び交います。だってFF7の終わりは、まだ誰も見てないんだから。

 

それはそうとして「片翼の天使」はセフィロスを象徴する楽曲です。ボーカルを交えた表現は当時の僕らの度肝を抜き、そして植松伸夫御大の作家性をありありと世に知らしめることになった名曲です。それこそ「ビッグブリッヂ」並に色んなところで使われ、アレンジされている楽曲でもありますね。さて、今回の「片翼」はどんなアレンジなんだろう、とワクワクする僕は、曲が始まるや否や、脳天をハンマーでブッ叩かれたような衝撃を受けました。

はい、各自なんとかして音源を手元に用意してください。一緒に聞きましょう。

ざっくり言うと「全然違う曲」なんです。いや、そりゃオケの構成とか、メロディとかは共通する部分がありますよ。普通に聞いたら「片翼の天使(リメイク版)」として聞こえます。ただ、表現しようとしているものが全く違って「神秘的な荘厳さ」や「宇宙の神性という脅威」を表現しようとしていた原曲とは異なり、リメイク版の「片翼の天使」が表現しようとしているものは「正体不明の大いなる何か」に対して「分からないなりに覚悟と焦燥を以て相対している」という様子なんです。

つまり、原曲は「セフィロスのテーマ」で、逆にリメイク版は「クラウドたちのテーマ」であるように感じられるんです。

「焦燥」と表現しましたが、それは「原作FF7」という、リメイク版のクラウドたちからすれば「不透明なヴィジョン=まだ見ぬ運命」に対する漠然とした恐れであり、それと戦うことを要求してくるセフィロスの「真意の読めなさ」に対する恐怖なんですね。だから原曲よりもアップテンポで展開しながら、けれどコーラス部分はなかなか進展しない。そして「いつも聞いていたあの展開」が全然訪れないことが、さらに焦燥感を煽ります。「確定した未来=予想できる旋律」という安心感が、この曲にはないんです。つまり曲だけで、この最終局面を表現しきっているわけです。ヤバい。(語彙力消滅)

ただ、その展開が突如、スラーッと開かれるのがループ後です。曲の途中で、唐突に「片翼の天使」が始まるんです。メロディ、展開、オケ、テンポ、どれをとっても正統な「片翼の天使」です。そこからしっかり3分ほど、原曲の1ループ分がそのまま展開されます。これは間違いなく「セフィロスのテーマ」としての部分であり、逆に前半部分の異様さを際立たせます。そして「まったく恐ろしいことを考える」と驚嘆せざるを得ない部分がやってきます。

 

それが「片翼の天使」の「続き」です。

 

未来が未確定であるなら「片翼の天使」という楽曲が「どう終わるか」も確定していないワケです。「セフィロス!」で曲が終わった…と思ったところで「新約・片翼の天使」とも呼ぶべき楽曲が再び牙を剥きます。メニメニメニナス…といつもの文言を復唱し始めるんですね。曲は終わった筈なのに。それと同時に曲がどんどん加速していく。そして再び、かつてないほどのハイテンポで焦燥感を湛えて始まるAメロ、どんどん曲展開の常識を逸脱していきます。怖い、恐ろしい。何故ならば、分からないから。クラウドたちの気持ちとシンクロしますね。そもそも彼らは原作でこの曲が流れるタイミングとは異なり、セフィロスが何であるかさえ理解しないままこの戦いに臨んでいるワケですから。

ですが唐突に、それを切り裂くフレーズがやってきます。

「闘う者達」です。

これまでFF7Rで何度も流れてきて、もはや何よりも印象的になったフレーズが、ここにきて、たった一度だけ流れます。もはやクラウドのテーマと言っても過言ではないそのフレーズが、この異常な曲展開を切り裂くんです。そして曲は終わりに向かいます。

どうですかこれ。「手抜かり無さすぎワロタンゴ」でしょう。

僕はFF15の「APOCALYPSIS NOCTIS」の叙事詩的(エピック)な曲展開が大好きで、そろそろサウンドと演出のダブルパンチでFFにノされる日が来るかも知れない…身構えていたのですが、リメイク版の「片翼の天使」はまさに、その期待に応えてくれました。というかKOですね。タオル投げます。降参。

 

■新約・闘う者達

 

思えば、この「曲による表現」には前例がありまして。

FF7R版の「闘う者達」の中でも、特に原曲に忠実な正統アレンジがあるのですが、それを聞いてもらえば分かる通り、本当にめッッちゃ忠実なんです。違うところと言えば、それこそ電子音がオケになった、くらいの忠実ぶり。ただ、それほどに忠実な、いわば「お利口さん」なアレンジが、たった一か所「サビ」と呼ぶべき盛り上がりを、原曲にないメロディで表現している箇所があるんです。ループの手前、ちょうど0:54~の展開になります。ここ、原曲では裏に、こんな伸びやかなメロディラインは敷かれてないんですよね。ここ以外は完璧に、正統な、「お利口さん」アレンジなのにですよ。この僅かな変化が、未来の変化、最終的な因果の破却を示唆している…バタフライエフェクトゥ…といえば過言かも知れませんが「完全に同じものではない」ことを意識した部分ではあると思いました。そういった気づきが随所に見られるように、特にサウンドに関しては、恐ろしいほどにストーリー性との背離がない、手抜かりが無いんです。いやもう70兆点ですよ。

 

■新約・更に闘う者達

 

そして最後に「更に闘う者達」の話をします。エアバスター戦のアレンジですね。この曲が始まった時の「来た!」感は、凄まじいものがあったと思います。このアレンジは、原曲のイメージと寸分違わぬ始まり方をするんですよね。それでいて原曲よりも音の粒が均整に揃っていて、フレーズ間で行われるギターパートの新しい展開も良い。そして盛り上がりどころでは容赦なく盛り上げる。「オイ、生ッちょろい姿勢でやってんじゃないぞ。FF7だぞ。ボス戦なんだぞ。分かってんのかオイ!」という感じで、聞いてる方が気後れしてしまうくらいに「これが"格好良い"ってことなんだ!」を力強く提示してくるサウンドになっています。

そして他曲の例に盛れず…長い! エアバスター戦が何度となく、シネマティックな場面展開を見せることがその理由でしょう。しかしここで曲を平坦なアレンジで長引かせず、全く新しい「更に闘う者達」を聞かせてくれる、これがリメイク版ですよ、これがファイナルファンタジーの最新作、FF7Rのサウンドですよ! と高揚したのを覚えています。アレンジの特徴としては「聞きたいところを、とことん聞かせてくれる」印象。そして最早お家芸となった、後半部分に勇壮なコーラスを加えてエピック感マシマシで仕上げる手法。オケとコーラス主体で音圧たっぷりなパートと、一本のギターが軽快にリフを駆け抜けるパートの、対象的であり印象的なこと!

「原曲の完成度の高さ」に合わせて「今この瞬間に、ゲーム画面を通じてプレイヤーが聞きたい展開」を、しっかり精査して繰り出しているように感じられる旋律の数々…グリフィンドールにプラス900京点!!!!!!!

サウンドの話を転々としましたが、どうですかこれ。もはやサウンドに関する審美、評価でさえ、ネタバレの一端を担ってしまうという「ストーリーとの融和性」。

見事でしょう。

 

■総評

 

これほど挑戦的な展開に臨むリメイク作品は見たことがありません。そして、その志の高さに、グラフィック、サウンド、ゲーム性、ストーリーの全てが、見事に追従して完成しています。

序盤から「REMAKE」の意味をプレイヤーに手渡して、進行の原動力にする構造がとても独創的で優れていますし、それがなくても十分に、クリアまで導引するだけのゲーム的な面白さもあります。

ゲーム性の部分では、コアプレイヤーもライトプレイヤーも、等しくそれぞれの遊び方を見つけられるような、多様性のある設定、システムが魅力的です。全体のボリュームに関しても過不足ないものであると感じられました。

グラフィックやサウンドに関しては非の打ちどころがなく、"光彩"の都である「魔晄都市ミッドガル」の細部に至るまでを丁寧に描き、キャラクター造形美術に関しては、間違いなく世界でも有数の体験を得ることができます。そしてサウンドは「再構成」というテーマを完璧に表現し切っていますし、SEも耳に楽しいものが多く、アクションゲームとしての爽快さを補助しています。

一部にUXの悪さが残っている部分もあります。(例えば、エアバスター前の廃棄ミニゲームは、メリットとデメリットのイメージが難しい上に、説明文章も回りくどく、仕様自体が分かりづらい。また、バイク戦では「操作自由度」の低さが軽度のストレスに繋がる瞬間がある。等)

が、それがゲーム全体の評価を低迷させるようなことはありません。

全編を通して、ゲーム的にも、ストーリー的にも、説明し過ぎないことによって「自分で見つける楽しみ」が用意されているように感じられます。これは従来のシリーズと対比すると明確な「高度化」を感じられる部分であり、分作であることもネガティブな要素になっていません。ストーリーは途上でありながら、これを「完成」として捉えることも十分に可能で、今後があるなら、より期待できる、と思わせる完成度になっています。

挑戦的なストーリー展開であるが故に、一部のユーザーにとって満足できない部分がある点は否めませんし、最終盤で「クラウドたちの物語」から「原作プレイヤーが運命と決別する物語」にシフトする部分についても、急な感は否めず、賛否を生むことは間違いないと思います。ただし、これほど新しい試みであるならば、そこに賛否が生まれること自体が、作品としての成功であると僕は考えます。

 

以上の理由から、

FINAL FANTASY VII REMAKE」は、名作です。

 

前編の評価点に関してはほとんど大嘘で、実際は加点し過ぎて計算し切れないので、100点満点中、カンスト(9,999点)ということで、よろしくお願いします。

 

以上です。言いたいこと言ったので、サヨナラ。

なんか質問とか、指摘とか「ここはそうじゃねえだろ!」みたいな「熱いもの」があれば、コメントでもツイッターでもご自由にどうぞ。

 

いやー、面白かった。